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三島由紀夫の未発表の録音テープが見つかったと1月12日にTBSが発表しました。
ご存じの方も多いかと思います。
自衛隊市ヶ谷駐屯地で演説後に「切腹」自決した1970年11月の9カ月前にイギリスの翻訳家との対談の肉声テープが見つかったとの報道でした。
産経新聞によるとこのテープは何故だかTBSでは「放送禁止」として保管されていた様で、その「放送禁止」という文言が、TBS発表では「特別に」と表現されていて、この辺りが左に傾いているTBSぽいな~と個人的に感じました。
そこで今回は、三島由紀夫が命を賭して行った演説の全文内容を振り返り、三島由紀夫の切腹の理由や小説のおすすめ本、名言など三島由紀夫についていろいろまとめてみました。
三島由紀夫の演説の全文内容
憂国忌・三島由紀夫の忌日。
1970(昭和45)年11月25日、三島由紀夫が、自ら主催する「楯の会」のメンバー4人と共に市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で総監を人質に本館前に自衛官を集合させ、自衛隊の決起を訴える演説を行った。その後楯の会会員の森田必勝とともに割腹自殺した。 pic.twitter.com/suMkmusldn
— 久延毘古⛩睦月 小正月 (@amtr1117) 2016年11月24日
三島由紀夫は、1970年の11月25日に自衛隊市ヶ谷駐屯地にて自衛隊のみなさんの前で演説を行い、その後楯の会のメンバーである森田必勝と共に「切腹」自決しました。
三島由紀夫が行った演説の全文内容をまずは見てみたいと思います。
三島由紀夫の演説の全文内容
諸君は、去年の10.21から後だ。もはや、憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。
自衛隊が20年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会はないんだよ。
もうそれは、政治的プログラムから外されたんだ。
ついに外されたんだ、それは。
どうしてそれに気がついてくれなかったんだ。
去年の10.21から1年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた。
もうこれで憲法改正のチャンスは無い。
自衛隊が国軍になる日はない。
建軍の本義は無い。
それを私は最も嘆いていたんだ。
自衛隊にとって、建軍の本義とは何だ。
日本を守る事。
日本を守るとは何だ。
日本を守るとは、天皇を中心とする、歴史と文化の伝統を守る事である。
おまえら、聞け!聞け!静かにせい。静聴せい。話を聞け!
男一匹が、命を懸けて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。
それがだ、今日本人がだ、ここでもって立ち上がらなければ、自衛隊が立ちあがらなきゃ
憲法改正ってものは無いんだよ。
諸君は永久にだねぇ、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。
諸君と日本の…(?)アメリカからしかこないんだ。
シビリアンコントロール…(?)シビリアンコントロールに毒されてんだ。
シビリアンコントロールというのはだな、新憲法下でこらえるのが、シビリアンコントロールじゃないぞ。
そこでだ。俺は4年待ったんだよ。俺は4年待ったんだ、自衛隊が立ちあがる日を。
そうした自衛隊の…最後の30分に、最後の30分に待ってるんだよ。
諸君は武士だろう!
諸君は武士だろう!
武士ならばだ、自分を否定する憲法をどうして守るんだ。
どうして自分を否定する憲法にだねぇ、自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。
これがある限り、諸君ってものは、永久に救われんのだぞ。
諸君は永久にだねぇ、今の憲法は、政治的謀略に諸君が、合憲のごとく装ってる。
自衛隊は違憲なんだよ。
自衛隊は違憲なんだ。貴様たちも違憲だ。
憲法というものは、ついに、自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだという事にどうして気がつかんのだ。
どうしてそこに諸君は気がつかんのだ。
俺は諸君がそれを断つ日を待ちに待ってたんだ。
諸君はその中でもただ、小さい根性ばっかりに惑わされて、本当に日本の為に立ち上がる時は無いんだ。
抵抗したからだ(?)
憲法の為に、日本を骨無しにした憲法に従って来たという事を知らないのか。
諸君の中に一人でも俺と一緒に立つ奴は居ないのか?
一人も居ないんだな。
よし!
武というものはだ、刀というものは何だ。
自分の使命に対して…(?)という言葉だ。
それでも武士か!
それでも武士か!
まだ諸君は、憲法改正の為に立ち上がらないと見極めがついた。
これで俺の自衛隊に対する夢は無くなったんだ。
それではここで、俺は天皇陛下万歳を叫ぶ。
天皇陛下万歳!!
天皇陛下万歳!!
天皇陛下万歳!!
三島由紀夫の切腹の理由は何故?
三島由紀夫は何故切腹したのか?三島の死後も多く問われた問いでした。
自分の考えを広く表明したいだけならば、何も切腹する必要は無かったのではないかと思ったりします。
十分、テレビでその演説の模様は放送されたでしょうから。
三島由紀夫が亡くなってしまった今としては、何故切腹したのかという理由は、本人のみぞ知る事です。
ですが、そう言ってしまうと身も蓋もないので、そこは私の独断と偏見で三島由紀夫の切腹の理由を推測してみたいと思います。
その推測の拠り所となるのが、先ほどの三島由紀夫の演説内容と今回見つかった未発表録音テープにあると思います。
【TBSで今回見つかった未発表録音テープ】
この動画の中で、三島由紀夫は憲法9条について全てが悪いと言っている訳ではなく、9条の第2項が問題だと言っています。
ここで憲法9条の第2項とは、
「前項の目的を達成する為、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
というものです。自衛隊はどう見ても軍隊なのに、理屈をこねくりまわして軍隊で無いと表向きはしている。しかし、憲法9条の第1項で武力の行使の放棄を定められ、自衛隊は軍隊としての活動は制限されています。
その辺が、三島由紀夫の演説の中にある文言「憲法の為に、日本を骨無しにした憲法に従って来た」に感じる事が出来ます。
日米安保がある以上、憲法改正をしない限り、自衛隊はアメリカの軍隊になってしまい、日本の国の軍隊に成りえない。
その事に対する三島のいら立ちが感じられます。
そして演説の後半部で、
「それでも武士か!それでも武士か!まだ諸君は、憲法改正の為に立ち上がらないと見極めがついた。これで俺の自衛隊に対する夢は無くなったんだ。」
とあり、三島は自衛隊が憲法改正の為に立ち上がってくれると期待していたが、そうではなかったことへの落胆と自衛隊が日本を守る為に有事の際には命を懸ける、現代の武士だと考えていたのではないかと個人的に推測しています。
ここで、三島の著書である「葉隠入門」を記そうと思った理由が何となく分かる気がします。
そして「葉隠入門」の最後で三島は、「葉隠」は一つの思想や理論の為に死ねるという死への尊厳を重んじていて、いかなる死もそれを犬死にと呼ぶことはできないと結んでいます。
つまり、「日本を守るとは、天皇を中心とする、歴史と文化の伝統を守る事である。」と演説中にもあるように、三島由紀夫は、自らを「葉隠」にあるかの様な武士だと信じ、また自らを武士だと考え、日本を守るために、天皇陛下を中心とする武士を含めた歴史と武士を含めた精神文化の伝統を守る為に、「武士として」割腹したのではないでしょうか?
武士道といふは、死ぬ事と見つけたり
産経新聞の記事には、その対談の模様が書き起こされていて、その中に
「僕の小説よりも僕の行動の方が分かりにくいんだ、という自信がある。僕が死んでね、50年か100年たつとね、『ああわかった』という人がいるかもしれない。それでも構わん。」
引用元:http://www.sankei.com/entertainments/news/170112/ent1701120019-n2.html
上記の書き起こしを読んで、ひょっとして三島由紀夫は自らの死をもって、未来の日本人に向けて、日本を骨無しにした現状を変え日本を守る為には憲法改正の必要があることを表現したかったのかもしれないとも感じました。
三島由紀夫は、1970年の11月25日に亡くなり、その50年後とは2020年です。
この年は、偶然にも東京オリンピック・パラリンピックの年です。
幸か不幸か、日本を取り巻く安全保障の状況は激変し、憲法改正は数年前ならタブーの議論でしたが、今では普通に俎上に載るトピックとなってきており、安全保障のリスクが憲法改正の議論を押し進めています。
ニュースでも、憲法改正関連やその是非を問う世論調査結果も報道されるという状況となりました。
桜が散る様に、三島由紀夫は45歳というはかない生涯を切腹自決により閉じましたが、三島の言う通り、いかなる死も犬死にとはならない様ですね!
歴史は繰り返す。
前回の東京オリンピックが開かれた1964年は日本はそのインフラ整備もあって奇跡的な高度成長を遂げました。
今回の東京オリンピック・パラリンピックのある2020年には、どんな飛躍があるのでしょうか?
三島由紀夫があの時言った50年後までは、あと3年です!
三島由紀夫の小説のおすすめ本
三島由紀夫の小説を私が初めて読んだのは、大学生になって授業のレポートを書く為に読んだ『仮面の告白』でした。
この作品から、小説家三島由紀夫に興味を持ち、三島作品を読み始めました。
当然、金閣寺や潮騒、禁色など名作には枚挙に暇がないですが、いくつか個人的に面白かった小説などを挙げてみたいと思います。
【午後の曳航】
横浜を舞台に少年とその母と母と恋愛に落ちる船乗りとの関係を描いた小説。小説の第二部の第一章冒頭3行目から表現された新港埠頭についての文章が印象に残っています。三島由紀夫の、らしい文体を味わえる傑作。最後の一文、『栄光』とは何でしょうか?曳航?過去の小説にある三島の考えとの共通項を感じさせるオチとなっています。
【葉隠入門】
「武士道といふは、死ぬ事と見つけたり」で有名な葉隠の武士道精神について、三島由紀夫の熟考を垣間見る事ができる随筆集とも言うべきものになっています。
三島由紀夫は、葉隠について哲学書と見れば、行動哲学であり、恋愛哲学であり、生きた哲学であると述べ、また20数年間自分の身辺に置いて、折に触れて読み、感銘を新たにしたのは葉隠のみと言いきっています。
【小説家の休暇】
小説家とは三島由紀夫の事で、日々の出来事を日記形式で綴ったもので、比較的読みやすいです。
この作品の中で太宰治自体やその文体に対する考え(批判?)や、深酒をした話など、三島由紀夫個人の人となりを知ることが出来る書物となっています。
【川端康成・三島由紀夫往復書簡】
三島由紀夫と川端康成との手紙でのやりとりを記した記録集。三島由紀夫が如何に川端康成を尊敬し、当時の川端の文学を雲の上と崇めていたのを見る事が出来ます。川端康成をノーベル文学賞に三島が推薦する英文とその訳もあります。
三島由紀夫の名言
三島由紀夫の名言は多くあると思いますが、個人的に印象深い名言を一つご紹介したいと思います。
よく引かれる有名な名言で、市ヶ谷駐屯地での演説をした後に「切腹」自決する約4か月前の1970年の7月7日に産経新聞の夕刊に掲載された「果たし得ていない約束ー私の中の二十五年」からのものです。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら日本は無くなってしまうのではないかという感を日増しに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」
引用:三島由紀夫「果たし得ていない約束ー私の中の二十五年」より
現代の日本を予言したかの様な三島由紀夫の名言だと思います。当時、未来の日本を「無機的な、空っぽな」という表現が私的には心に刺さりました。その表現のアイロニーに、日本が日本でなくなる諦念にも似た感情を感じます。
[ source ]
・三島由紀夫「平和憲法は偽善。憲法は、日本人に死ねと言っている」 TBSが未公開テープの一部を公開・放送
(産経新聞)
⇒http://www.sankei.com/entertainments/news/170112/ent1701120019-n1.html
・三島由紀夫の未発表テープ見つかる、命を絶つ9か月前の肉声(TBS)
⇒http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2958073.html