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田中角栄とはどういう人なのか?
田中角栄は、最近更に注目を浴びている様で、田中角栄に関する書籍が多く発売されていますね。
昭和の大政治家であるこの田中角栄とはどういう人だったのでしょうか?
田中角栄は、新潟県刈羽郡二田村(旧西山町、現柏崎市)に生まれ、小学校高等科を卒業して上京し、働きながら夜学に通い、18歳で自分の設計事務所を設立。そして25歳で田中土建工業を設立し、28歳で代議士に初当選を果たします。
この時昭和21年4月、戦後第一回の総選挙に進歩党から出馬し、モーニング姿で立会演説会に出た田中角栄は、熱気溢れる会場の聴衆にこう演説を始めます。
「皆さん、この新潟と群馬の境にある三国峠を切り崩してしまう。そうすれば日本海の季節風は太平洋側に抜けて、新潟に雪は降らなくなる。皆さんが大雪に苦しむ事は無くなるのであります!ナニ、切り崩した土は日本海に持って行って埋め立てて佐渡を陸続きにしてしまえばいいのです。」
この演説を聞いた民衆は、口あんぐりで、あっけにとられたらしいですね。余りにダイナミック、そして土木・建設の会社を興し日々発想を練っていた角栄ならではのオリジナルな発想。その発想の背後には、東北(新潟は関東甲信越地方ですが…)の冬の生活は、お父さんは冬の時期に出稼ぎで家に居ないなど、積雪で生活を如何に分断されきたか、それを改革しなくてはならないという深い思いが感じられます。
その後、39歳で郵政大臣となり、44歳の時第二次池田内閣の改造で大蔵大臣に抜擢されます。この時大蔵省に初登庁し大蔵省の大講堂で並居るエリート官僚の前で行った演説が有名です。
「私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家揃いだ。私は素人だが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきて、いささか仕事のコツを知っている。一緒に仕事をするには互いによく知り合うことが大切だ。われと思わん者は誰でも遠慮なく大臣室に来てほしい。何でも言ってくれ。上司の許可を得る必要はない。」ざわめく役人たちに向かって田中は
「出来る事はやる。出来ない事はやらない。しかし、全ての責任は、この田中角栄が背負う。以上」
ー満場にどよめきが起こった。私は講堂の一番後ろで、この光景を見て「田中は勝った」と思った。超エリート軍団の大蔵官僚(現財務省)との最初の勝負に彼は勝ったのだ。おやじ(角栄)はこの後、無名時代の十年間に渡る議員立法作業(33法案)、郵政大臣の在任中に磨きぬいた役人操縦術を駆使して、大蔵省に田中シンパを増やし続けていく。
(引用:早坂茂三著ー田中角栄回想録より)
余談ですが、角栄は官僚の奥さんの誕生日も秘書にあらかじめ調べさせてか熟知していたらしいですよ。知っていたのみならず、その奥さんの誕生日に官僚に高級バッグ(今で云うブランドバックでしょうか?)を渡して、激務の官僚の労をねぎらっていたという逸話を聞いた事があります。そうされた官僚はどう思うでしょうね?角栄さんに貰ったので渡すと言う官僚もいれば、「今日、そういう言えばお前の誕生日だったから、買っておいたよ」と渡す官僚もいれば、そのバッグをどう奥さんに渡そうが、角栄が知ったこっちゃない。この意味分かりますか?依然、官僚が角栄に心酔するのが見てとれます。
その後、47歳で自民党幹事長、53歳で通産大臣を務め、54歳の時に内閣総理大臣に登りつめます。
1972年7月に田中政権が誕生して、その政権下で大蔵省の元事務次官だった相沢氏は田中角栄をこう評します。
「政治家としての田中角栄の強みは建設会社での経験にありました。コンピュータ付きブルドーザーと呼ばれていたので、計算は早かった。パッと考えて、いいとなったら即実行する。田中角栄が普通の政治家と違うのは、田中は事業をやっていたので、何か事を起こす時には財源をどうするかという事を考えていた点だ。」
政治家は政策を立案して立法するのが旨と考えますが、今の政治家はそれに必要な財源はというと安易な赤字国債に頼ったり、それ自体考えてもいない政治家が多いのではと感じます。その結果日本は莫大な債務を背負ってしまっています。角栄は自ら会社を興し経営していたので、政策を考える際に常に必要な財源を念頭に置いていたのですね。当然と言えば当然ですが、そういう所も今日人気を博している一因なのかも知れません。
その後、1976年にロッキード事件が発覚しました。それは田中が総理のイスから降りた1年2カ月後の事でした。
田中角栄のロッキード事件とは?分かり易くまとめてみた
先週放送されていたNHKスペシャル「未解決事件 File.5 ロッキード事件」をようやく見終わりました。
田中角栄については個人的に関心があり、これまでウォッチしてきたつもりですが、NHKのこの番組を見てまだまだ知らない事が多いと感じましたので、いろいろまとめてみました。
ロッキード事件のロッキードとは、アメリカのカリフォルニア州にあった航空機を製造していた会社で主に軍用機を製造していました。現在は合併しロッキード・マーティン社となっています。このカリフォルニア州は田中角栄とハワイ会談を行ったニクソン元大統領の出生地で、政治的基盤の地でもあります。
このロッキード社がロッキード社製の対潜哨戒機P3Cやトライスター(航空機)の日本への売り込みに関して、全日空や商社丸紅、そして政財界の黒幕、フィクサーこと児玉誉士夫氏をルートとして日本の政府高官に賄賂が渡ったと言われ、結果日本の政財界を揺るがした贈収賄事件です。児玉ルートでは21億円の金が政府高官に渡ったという事ですが、誰に渡ったかは明らかになりませんでした。
丸紅から田中角栄に5億円が渡ったとされ、田中は1976年(昭和51年)7月27日外為法違反と受託収賄罪で逮捕されました。一審・二審で懲役4年の実刑判決を受け、1993年に田中角栄死亡の為に公訴棄却となりました。
ロッキード事件とは、アメリカの陰謀?その真相とは?NHK特集から考えた
NHKスペシャル「未解決事件 File.5 ロッキード事件」は三部構成でかなりボリュームがありました。
久しぶりに見ごたえのある番組でしたし、巷でよく言われるアメリカのキッシンジャーの陰謀説などありますが、真相はどうだったのでしょうか?NHKの特集から個人的に考えてみました。
当時のロッキード社にとって日本は大きなマーケットで、またベトナム戦争終結で赤字経営だったロッキード社にとってP3Cという対潜哨戒機を日本に売り込む事は社内的に重要な事でした。
P3Cとは、当時アメリカは全世界で暗躍するソ連の原子力潜水艦を警戒しており、それを探査する目的で製造されました。
ソ連の原子力潜水艦はスピードがあり、また1か月以上も海に潜水する能力があった様です。これはアメリカにとって脅威でした。
そこでニクソン政権の国防長官のメルビン・レアード元国防長官は日本にP3C輸入を求め、また同じくニクソン政権下でキッシンジャー大統領補佐官のもとでニクソンに軍事面での政策立案に携わっていたリチャード・アレン元国家安全保障担当補佐官は、ニクソンとキッシンジャーは日本にP3Cを売りたいと言った事を認めて、NHKのこの番組内でこう語りました。
「日本の(P3C導入で)探査能力が向上し、より多くのソ連の潜水艦を見つけられれば、日本だけでなくその地域の同盟国にとって利益となる」と述べさらに、
「日本が我々の軍事機を購入すれば、私たちは懐を痛める事なく、日本の金で我々の軍事力を増大する事ができます。加えて私たちが望んでいた日本の軍事的役割の強化にも繋がるのです」と語りました。そのシーンを見て、私には若干瞳に笑みが見えた様な気がして、ちょっとムカつきました。
みなさん、よーくこの事を覚えておいて下さい。余りにも当然過ぎる事実で、今更的な事かもしれませんが、アメリカはアメリカの為に日米安保を締結し、アメリカはアメリカの為に日本にアメリカの基地を置いています。理由は、中国は共産国、北朝鮮も共産国、ソ連は元共産国というか今もほぼそうです。日本が共産国になってしまうと、アメリカは自由主義資本主義ですが、万が一の有事の際にはアメリカ西海岸が戦火の最前線になってしまう。それだけはアメリカは避けたい。新自由主義の余波を導入してくれる安倍政権JAPANを対共産圏との軋轢の盾にして、アメリカの西海岸が戦火の最前線になる事だけは避けたいのでは?というのが私の個人的なアメリカに対する邪推です。
また当時の日本の国内事情としては、対潜哨戒機の国産の動きやそれを求める気運もありましたが、大蔵省的には国産には反対で輸入に賛成でした。理由は、その開発経費がアメリカの倍という経費のかかりすぎる事が原因だった様です。結果、1972年10月対潜哨戒機の国産化は白紙となります。
そんな中、1972年7月に田中角栄が総理大臣に就任した事を受け、アメリカ側は元ロッキードの副社長を務めた事もあるジェームス・ホッジソン駐日アメリカ大使に詳細な田中の人物像やプロフィール、性格までを分析させていました。
これを見ると、日本がP3Cを輸入するか否かの全決定権を有する田中に照準を定め、P3Cを輸入させる工作に動いていた事は想像に難くないでしょう。
その後番組では、東京地検特捜部も同じく田中に照準を定め、丸紅ルートから外堀を埋めるべく関係者の証拠を調査し固めていくシーンが映し出されますが、ロッキード社のコーチャン副社長が記したとされるホテルのメモ書きには6人の名前と数字が記載されていました。そんな大事な事をホテルのメモ帳に書いたりするでしょうか?かなり疑問です。
更にコーチャンの嘱託尋問についてアメリカ側が要求した条件に、日本の検事総長からのコーチャンに対する不起訴宣明書に加えて、最高裁からも宣明書が無いと一切証言を使わせないとしながらも、結果的に最高裁での供述は不採用という点も疑問が残ります。理由は日本に司法取引がない為との事の様ですが、それは最初から分かってた話で理由としては稚拙です。
また堀田力検事がアメリカ側から持ち帰ったコーチャンのアメリカ証券取引委員会での証言と資料には、肝心な点の情報がなく、P3Cに関しては全く情報がなかったというのも何か暗示的です。
そしてP3Cは事件発覚の翌年1977年に日本導入が決定して、これまで100機配備され、総額は1兆円を超える金額となっている様です。
結局ロッキード事件では、21億円もの金が渡ったとされる政府高官の解明には至っていません。田中角栄を挙げるという功利に走った東京地検特捜部とP3Cを自国の国防の為に売りたかったアメリカと脱赤字経営の為に対日工作したロッキード社との思惑は一致し、田中角栄をスケープゴートにして本当にえぐるべき事実は闇に葬り去られました。そこは、番組にもあった「魑魅魍魎」が蠢く世界だと、個人的には感じています。
では、田中角栄という稀代の政治家の政治生命が断たれたこのロッキード事件は、日本の国民にとってはプラスだったのでしょうか?
ここで敢えて私は、「政治家」というものに対する一考を披歴したいと思います。
「演説をしても聴く聴衆は余りいない。でも金銭的にはクリーン(というか能力ないから誰も寄って来ないだけ)金を握った事がないので、交渉能力は著しく低い。(で、ロシアや北朝鮮と交渉出来るのか…)」
という政治家が良いのか、はたまた
「演説をすれば万人が足を止めて、その演説に聴き惚れる。なぜなら道理があって、オリジナルでダイナミックで夢があり、今まで聞いた事のない演説だから。でもおのれが政治家になった意味は、おのれが目指す『日本を良くする』事なので、時限立法を33も立て、おのれが目指す法案を通す為に、日本は法治国家なので、法案を通す為に金を使ったかもしれないが派閥を組織し、法の則る通り多数決に繋がる数を追い求めた。それは自分が標榜する政策を、多数決という民主主義のもと叶える為だが…。」長年田中角栄をウォッチしてきた私には、そう思えてならない。
田中角栄を評して金権政治としか言わなかったマスコミ。
では、そういうマスゴミに敢えて私は言いたい。
私も当時(角栄が政治に心砕いていた時)に物心ついていた訳ではない。そして今の平成の人たちなら、尚更田中角栄を微塵も知らないでしょう。この平成28年近辺で、何故に田中角栄本が売れるのですか?
その答えは、志半ばで旅立った天才政治家「田中角栄」を熱望する昨今の角栄人気本が示しています。